日米開戦4gewe3g6edgeから4日後に、永井荷風が日記に書いている。「到(いたる)処(ところ)に掲示せられし広告文を見るに、屠(ほふ)れ英米我らの敵だ進め一億火の玉だとあり」――。「一億火の玉」や「一億一心」の後には「一億玉砕」が叫ばれる。戦中の一億は朝鮮や台湾などの人を加えた数だった
tvb劇集收視、電影票房關注。
戦争が終わると一億総懺悔。低俗テレビで一億総白痴化。さらには一億総評論家、一億総中流などと、切りのいい数字は何かにつけて「枕詞(まくらことば)」になってきた
冷氣機價格。
その枕詞と、遠からず別れるときが来る。厚労省公表の人口推計によれば、2048年に1億人を割り、60年には8674万人になるという。今の3分の2になり、ざっと近畿、東海、中国地方を合わせた人口が減る勘定だ。
数の上では昭和20年代後半に戻る。だが中身はまるで違う。半世紀後の人口構成グラフは、上半身ばかり隆々とした格闘家を見るようだ。下にいくほどひ弱になり、転びそうな逆三角の形は安定感から遠い。
先細りを見据えた制度改革や少子化対策が欠かせないが、語られ方に違和感もある。子どもたちを将来の労働力、納税や社会保障の担い手として「マス」で見過ぎてはいないだろうか。私感だが、この社会が「生身の子ども」に向ける目はどうも不寛容だ。
公の場で子が泣けば、周囲の不機嫌に親は縮こまる。遊び声さえ迷惑がられ、「育休切り」は後を絶たない。その他もろもろ、である。年金の算盤は大切だ。だが赤ん坊が「生まれてきたい」と思う世の中も遅れず整えたい。
PR