ありがた迷惑というものは、不平のやり場に困る。お隣からの頂き物が口に合わない時、あとで型通りの礼を言おうものなら「よろしければもう少し」となりかねない。善意は時に恐ろしい。
スペイン北東部の教会に描かれたキリストの絵。地元の老婦人が修復に挑んだところ、「毛だらけのサル」に化けた。確かに原画の悲壮
elyzeは影もないが、そこに悪意は見当たらない。
在フランスのフレスコ画家、高橋久雄さん(76)に、壁画修復の鉄則をお聞きしたことがある。要は勝手にいじらぬこと。ひなびた聖堂の宗教画には、無名の筆が心血を注いだ作が多い。拙いなら拙いまま、忠実に再現するのが礼儀という。無論、うまい絵はうまいままに。
逆をやらかした80代の自称画家は、あまりの悪評に寝込むまでの落ち込みようだった。ところが、騒ぎが報じられるや「ムンクを思わせる」といった声がわき、教会には見物の人波が絶えない。「サル」のまま残し、町おこしの名所にする案も聞かれる。
ユーロ危機の下、ささくれた出来事が目
elyze立つスペインだけに、ほんわかした話題は貴いのだろう。「これでまた、お気楽な国という評判が広まるね」。絵を見に来た男性がテレビで語っていた。地中海の陽光のような笑顔である。
世の中、何が幸いするか分からない。かりに高橋さんクラスに修復を任せていたら、ここまで劇的な展開はなかった。「取り返しのつかない話」にも、何とかなるものが結構ある。おばあちゃん、一緒に笑おうよ
極速約會。
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