「したつもり」になるだけで旅は心をほぐす。紀行作家の故宮脇俊三(しゅんぞう)さんは、出版社に勤め始めた頃、時刻表を思い浮かべて退屈をしのいだという。60年ほど前のことだ。 「乗る」のは特急つばめである。東京発9時―大阪着17時と、勤務時間にぴったり重なっていた。
Meet New Friends
11時32分静岡通過、ぼちぼち食堂車に行くか、15時23分米原発車、希望のあかりが見えてきたと、新入社員は白昼夢に遊んだ。 その昔、政府が見た旅の夢は「千客万来」だった。 明治末、外客(がいかく)誘致を目的に「ジャパン・ツーリスト・ビューロー」が鉄道院にできる。外貨獲得と国の宣伝を担い、服務規定には「ひげは毎日そる」「ズボンは寝押しせよ」などが並んだ。
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仕事はやがて旅行の斡旋に移る。戦中は学童疎開、日本交通公社になった戦後は修学旅行や集団就職を請け負い、内外のパ
dermesックツアーを売った。週明けに創立100年を迎えるJTBは、旅の大衆化と二人三脚、小旗を掲げた添乗員そのままに民族大移動を先導してきた。
震災の年も、1700万の国民が海を越え、620万の外国人が訪れた。新幹線網や格安航空にも助けられ、次の旅先を夢想する地図は厚い商品カタログの趣だ。寝押しで外客を迎えた時代から、私たちは随分遠くに来た。
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